学校のブログ
8/11 エゾシカについて学習してみる①
夏休みに入って子どもたちが学校に来ませんが、支笏湖小はホームページのアップを止めません。なぜなら、毎日平均して300件のアクセス数があるからです。支笏湖地域だけで100人くらいの人口なのに、なぜ一日で300件なのでしょうか? 多いときは、1日で1500アクセスあります。視聴者の皆様、ありがとうございます。
今回のテーマは、エゾシカです。支笏湖小に4月から赴任した筆者としては、一番身近にいる存在と言っても過言ではないからです。早速、説明します。
北海道で山道をドライブしていると、エゾシカに遭遇することも珍しくありません。一般道や高速道路には「鹿とび出し注意」の標識が設置されていることも多いです
一時期、絶滅危惧種寸前であったエゾシカですが、近年はエゾシカの繁殖により、個体数は急上昇しています。一方で、エゾジカの急増によって北海道ではさまざまな獣害が問題になっており、対策に追われているのも事実です。
本州に住んでいる人にとってエゾシカは、馴染みのない動物だそうです。そもそも、エゾシカがどのような動物なのかは、あまり知られていないようです。
① エゾシカはニホンジカの一種
かつては、雪の少ない釧路・根室地方や十勝地方などの一部にしか生息していませんでした。しかし、1900年代以降は雪の多い石狩地方や、空知地方にも温暖化のため分布拡大が進んでいきました。現在では北海道全域に分布しており、北海道では馴染みのある動物です。
② エゾシカの歴史
明治時代の北海道は未開の地であり、原始の森に覆われていました。蝦夷を探索し「北海道」と名付けた松本武四郎は、東蝦夷日誌のなかで一面に広がるエゾシカの大群を見て驚愕したと記しています。北海道開拓以降は、大量のエゾシカの狩猟により、5年間で57万頭以上ものエゾシカが捕獲されました。この大量狩猟の目的は、多くのシカ肉を海外に輸出し、資金を捻出するためでした。その後も開拓に伴う森林伐採が追い討ちをかけ、エゾシカは一時期絶滅寸前の危機に陥りました。種の絶滅を防ぐため、政府や地元猟師達は禁猟政策を取り進め徐々に数を増やし、2000年代には約65万頭まで増加しています。
③ エゾシカの生息地
エゾシカは、草原や牧草地を好み、木の芽やどんぐりなどが主食です。そのため、食料が採取しやすい海抜の低い土地や木々の多い山林に生息しています。また、同じ場所で生活する個体と、夏と冬に規則的に移動しながら生活する個体に分かれることも知られています。100キロ以上移動する個体もおり、冬になると雪の少ない地域で越冬します。
④ エゾシカの大きさ
エゾシカは、体長90㎝から最大で190㎝にまで成長します。本州に生息するニホンジカよりも、ひと回り大きい個体が多いのが特徴です。体重はメスで25kgから100kg、オスが50kgから最大で200kgを超える個体もいます。本州に生息するニホンジカよりも大きい理由は、北海道の厳しい寒さを生き抜くためだと考えられています。エゾシカは越冬に備えて秋に脂肪を蓄える習性があり、1日に2kgから5kgの餌を食べることも珍しくありません。たくさん食べて体を大きくすることで、北海道の厳しい寒さを乗り越えることができています。
8/9 支笏湖 『納涼盆踊り大会』
19:00~20:30頃まで、盆踊り大会が開かれました。場所は、商店街湖畔側園地です。支笏湖自治振興会の皆さんの主催です。驚いたのは、ほぼほぼ休みなくずっと踊っていることです!!みなさん、「ちかれたびー」とか弱音を吐かずに踊っていることにも驚かされました。全員に当たる景品があるのですが、2部門あり、一つは「踊り部門」もう一つは「仮装部門」です。
【ぞくぞく集まってきます。近くのホテルのお客さんも参加していました。和服姿の女性や女の子が多かったです。既に仮装部門の方々がちらほら見えてきましたね。】
【セーラームーンかと思われる仮装も見られます。因みに全員に首から番号を下げてもらっています。審査員の審査チェックのためです。筆者は審査委員を任せられましたが、なかなか番号が見えずらく、踊りで体を回転したときの一瞬がチャンスでした。】
【中央の、最初から最後まで休むことなく太鼓をたたいていた方は、この地域の太鼓の先生です。元気バリバリです。】
支笏湖納涼盆踊りは、踊って体力をつかいますが、地域の方々に観光客の方々ががとけこみ、とても賑やかで楽しい雰囲気を醸し出していました。支笏湖地域に対するみなさんの愛情が、先日の「提灯行列」と同じくひしひしと伝わってきました。
コロナが終息しても、人とのつながりがほどけたままでなかなかもとに戻らないと感じている人も多いと聞きます。支笏湖地域は、ほどけたつながりを地域行事を通して、再び結ぼうとしているんだなあとこの盆踊りを実際に見て感じ取ることができました。
みなさん本当にお疲れさまでした。これで、暑さを乗りきれますね!!
8/9 二階の窓ガラスがきれいになりました!!
本日、9:00より4名の業者さんが来校し、2階の窓ガラスをきれいにしてくれました。
【子どもたちが生活している学校なので、洗剤をなるべく使わない工夫をしてくれているそうです。】
【内も外もピカピカです。お一人が、外からはしごをかけて作業をしていました。※下の写真の方は内の担当です。】
【きれいになるコツを聞きました。水に台所洗剤を泡だたない程度に少量入れ、それを布巾に少しだけ染み込ませます。①四角くロの字に拭くそうです。そして②必ず乾いた布巾で同じくロの字で拭きとるそうです。5時間近くの 作業、ありがとうございました!!】
8/8 ろうそくが、なぜお菓子?
多分、ほとんどの人がわからない「ろうそくだーせ」がなぜに、お菓子に?のことを筆者は調べてみました。
北海道の七夕には、子供たちが「ロウソク出ーせ出ーせよ」と歌いながら家を周ってお菓子をもらう「ローソクもらい」という風習があります。今では見かけることが少なくなりましたが、「ロウソクもらい」がどのような風習かご紹介します。
北海道の七夕は旧暦に由来した7月7日に行う地域と、新暦に由来した8月7日に行う地域に分かれますが、道南にある函館の七夕は7月7日。函館の子供たちは、七夕の日になると浴衣に着替え、行灯をもって歌をうたいながら大人たちからお菓子をもらいます。その時に歌うのが「ロウソク出ーせ出ーせよ」という、ちょっと風変わりなもの。ハロウィンの「トリックオアトリート!」と役割が似ています。
かつて北海道全域でも行われていて、風習そのものを「ローソク出せ」と呼ぶこともあります。そして、特徴的な子どもたちの歌は、地域によって違っていたようです。
道南函館方面は、
「竹に短冊七夕祭り 大いに祝おう ローソク一本頂戴なー」など。
道央・道北・道東方面、支笏湖地域は、
「ローソク出ーせー出ーせーよー 出ーさーないとー かっちゃくぞー おーまーけーにー噛み付くぞー 噛み付いたら放さんぞー」など。
しかしこの「ローソクもらい」、子どもたちはなぜローソクをねだっているのでしょうか?その理由が、函館にありました。
子供たちが「ロウソク出せ」と歌う理由、そのルーツは函館にあります。このお祭りが始まったのは、函館に残っている記録によると江戸時代の後期から。当時の函館では、ねぶたのような山車と灯篭が町中を埋め尽くすお祭りがあり、その山車を照らすのにつかっていたのがロウソクだったといわれています。
子どもたちはその明かりのためのローソクを各家から集めていたので、「ローソク出せ」と歌っていた、という訳です。しかしその後、当時の明治政府の方針などの影響で、徐々に函館でのねぶたのようなお祭りは無くなり、ロウソクを集める必要が無くなってしまいました。函館で続く「ローソクもらい」は、後に子供たちがもらうものがローソクからお菓子へ自然と変わり、今も継承されています。
8/7 支笏湖の地域行事『提灯行列』②
【さあ、商店街などを歩きます。 「お菓子、ありがとうございまーす!!」 ちなみに大量にいただいたお菓子は、小型トラックに載せて並走しています。】
かなりの小雨が降っていましたが、一行は楽しく、七夕の日の提灯行列を楽しんでいました。
筆者も、初めての体験でした。この催しを記録化して後世に残さなければならいとの一心で、支笏湖小のHPにおさめることにしました。すべてのお店等を、写真写りの関係でご紹介できませんでしたが、気持ちのやさしい方々ばかりで、支笏湖地域の温かさを改めて感じることができました。