2025年3月の記事一覧
3/26 誰かがやらなければ、ずっとそのまま。
誰かが気が付いてそして具体的に動かなければ、ずっとそのままの状態で月日だけが流れていくということは世間にざらにあります。
支笏湖小の二階にある図書室(学校図書館)がまさにそれでした。下の写真は今から25年くらい前に、今は亡きある有名なS映画監督が来校したときの写真です。
そして下の写真が、令和7年2月の写真です。
そうなのです。黒板の上に貼られている有名な作曲家たちの肖像画とアンプにつながっていないスピーカーが少なくても25年間はそのままになっていました。
筆者は、学校司書さんに尋ねました。「これらの日に焼けて色褪せている絵と、音の出ないスピーカー・・・どう思います? 外しましょう!」
これは、昨日25日の話です。学校施設補助員さんと3人でほこりをかぶりながら、絵をはがし、スピーカーを取り外しました。
するとどうでしょう。両面テープの剥がし痕がくっきり残りました。色も、くすんだ緑色・・・
翌日の26日、何と、学校施設補助員さんは「ペンキを塗ります。よろしいですか?」 その一途なまなざし。
【ペンキが本に垂れないようにと、ビニールシートを当てがいながら塗ってくれたのです。】
【何ということでしょう。絵もスピーカーもなくなり、壁をライトアイボリーホワイトを塗ることによって、図書室の手狭だった空間がまるで「増設しましたか?」という錯覚を起こすくらいワイドに広がったような気がしました。】
今回の題に戻りますが、『誰かがやらなければ、ずっとそのまま・・・』やらなくても悪くも何ともありません。
ですが、“やる”と“やらない”との間には相当な隔たりがありそうです。
【校長室の書棚や引き出しの中に長いこと眠っていたかなりの数の書類や本類も、そのままにはしてはいけないと意を決してメスを入れることにしました。おかげで、本来やらなければならない仕事がなかなか進みません・・・】
3/24 『令和6年度 修了式・離任式』
24日に支笏湖小学校の修了式が行われました。児童を代表して5年生の女子が作文を発表したのですが、あまりに心を打つ内容だったために、みんなで感動しました。「今までは嫌なことから逃げがちだった私は、あるきっかけから苦手なものにも取り組み、逆に得意なものにしようと考えることにしました。」という内容です。
学校長からはこんな話を子どもたちにしていました。「みなさんにとってこの1年間はどうだったでしょうか?うまくいかなかったことや、嫌なことがたくさんあったのではないでしょうか。よく人生は、山にたとえられます。
~谷があるからこそ、山の頂に登りついた時の景色がより素晴らしく見える~
嫌なことや失敗があるからこそ、うまくいったときには喜びもひとしおです。苦しみのない喜びなんか、明日になれば忘れてしまうものです。」
離任式ではお別れを伝え、しんみりしました。
3月は別れの月です。でも4月になると出会いがたくさん待っています。
そんな季節だからこそ、誰もが心が張るのです。「春」とはまさに心が張る季節なのです。
4月からは、一つ学年があがります。そして何もかもが新しいことばかりです!
さあ、張り切っていきましょうよ! 生徒諸君!!
3/13 素敵な送り物
こんなことってあるのですね。
先日、郵便物が届いたのです。存じないお名前でした。封を切ったら、中にCD-Rが入っていて、「ご自由にお使いください。」と綴られていました。
CD-Rの中身を見てびっくりです!! 味わい深い映像が30枚近くも入っていたのです。
【2人乗りのグライダーに乗って上空から支笏湖界隈を撮られたそうです。操縦しながら撮っているわけではないそうです。】
【冬の支笏湖湖畔のこのような構図の写真は、筆者は今までお目にかかったことがありません。】
【あ、これは大盛況だった『氷濤まつり』ですね! 例年以上のお客さんの数だったようです。外国からの観光客(インバウンドと言うそうです)がずいぶん増えたと関係者の方が教えてくれました。】
【クルクル飛んでいるグライダーの中から撮影して、気分が悪くならないのでしょうか?? 】
お礼を言うためにお電話をさし上げました。声の感じ、一つ一つの言葉から、やさしい方だとお見受けしました。支笏湖小学校のホームページもご覧になっているそうです。
本当にありがとうございました。
【湖畔を囲んでいる山々の尾根。山を上から見下ろした珍しい構図の写真です。】
3/6 学校図書館の黒から白へ
二階の学校図書館には黒板があります。朝の会では、子どもたちや教職員がチョークを使って黒板に文字を書いたりします。さて、校長のかねてからの願いであったホワイトボードが先日ようやっと届きました。
このホワイトボードは優れもので、磁石機能あり、映像も写せる、取り外しが可能と三拍子そろっています。
更に付け加えると、チョークの粉が出ないので、服や床なんかが全く汚れないのです。
さっそく貼ってみてその翌日、子どもたちや学校司書さんのSさんがものすごく喜んでくれました。
チョークで黒板に字を書くよりも、マジックでホワイトボードに書いた方が書きやすいので、思いのほか上手に書けることが多いです。
最近否もう少し前から、直筆で綴る機会が昔よりもかなり減ってきていると聞きます。「綴る」よりも「打つ」世の中です。漢字、ひらがな、片仮名は外国人泣かせの難解言語と言われていますので、当然日本人にとってもやっかいな代物です。ですが、この誇らしい伝統・文化は消してはなりません。その役割・伝承を担うのが、学校です。
学校は勉強を教えるところと考えている人が多いと思いますが、“日本の伝統を次の世代につなげる場所”だと私は常日頃思っています。
2/28 木
学校という字は、「木が交わるところで学ぶ」と書きます。支笏湖小学校もたくさんの木々に囲まれていますが、困ったことに鹿たちが木の皮を食べることにより、そこからいろんな成分が入り込み、木を腐らせているという状況が生まれてしまっています。つまり、いつ木が倒れてもおかしく状況にあったわけです・・・
この度、縁があって、教育委員会の施設課を通じて木の伐採が叶いました。
【体育館前の木を伐採した結果が下の写真ですが、向こうの空が見えたり、校舎全体がはっきり表れることで、広さが感じられるようになりました。時計も見やすくなりました。梅の木は残してあります。】
【二宮金次郎像のまわりも実は何本も木々が腐っている状態でした・・・色がくすんでいましたから・・・】
【伐採後、たちまち支笏湖方向の景色が目の前に広がりました。】
【職員室窓前などの割と大きな木も伐採しました。今まで木の枝で遮られていたため暗めだった教室や廊下が、たちまち降り注ぐ陽の光で、眩しいくらい明るくなりました。】
「木がなくなって、悲しいです・・・」と表情を曇らせていた子もいましたが、施設課の職員の方が言うには、どの学校に行ってもそのように言う子どもが多いとのことです。また、街路樹などの枝払いや木の伐採をしていると「なんで、木を切っているんだ? 自然破壊じゃないか。」と声をかけてくる市民も少なくないと言っていました。自然を大切にするという気持ちがそれだけ世の中に浸透しているのだなあと嬉しく思いました。
こういう気持ちを育むのは、やはり「学校」なのでしょう。
この度の木の伐採を通して、学校の役割の大切さを改めて感じました。