太陽の光を浴び、北の太陽に向かって立つ躍動する児童の姿を表している。
中心部の3つの円は、扇形校舎を表現するとともに、外側から幼少年期・青少年期を表し人格の完成を目指す姿を表している。外側の大きい円の幼少年期が人格の基礎作りのために最も重要であることを示している。
(考案者)北陽小学校区の保護者を対象に校章のデザイン(校章図案)を公募し、8点の中から、稲垣正進氏と宮本晴児朗氏の原案を参考に、開校準備委員会が制定した。
1 窓辺に歌う 小鳥たち 朝のあいさつ かわします 楽しい友だち 肩よせて 心ふれあう わたしたち いつも仲よく 手をとって 励もう みんなの 北陽小学校 |
2 花の輪ひろがる 校庭に 明るい笑顔 こぼれます 澄んだ瞳を 輝かせ 胸はずませる わたしたち 未来をめざし 健やかに 伸びよう みんなの 北陽小学校 |
3 緑あふれる ふるさとの 小川のせせらぎ きこえます 小さな木の芽 ふくらんで 豊かに学ぶ わたしたち 羽ばたく夢を 大空に 描こう みんなの 北陽小学校 |
校歌にこめた願い
- 学校周辺の四季折々に美しい林と、学校の近くまでやってくる小鳥たち。みんなが仲よく、楽しく、心ふれあわせ、励ましあって育っていくように・・・・。
- 校庭に咲き乱れるいろいろの花。いつも明るい笑顔を持ち、瞳を輝かせて未来をみつめ、豊かな人間性をもった子供に伸びていって欲しい・・・・。
- 辛苦を重ねて開拓した人々のおかげで、今日の緑豊かな土地がある。この地を故郷として生きていく子どもたちが、豊かな自然を大切にし、世界に向かい、大きく羽ばたいていくように・・・・。
【1ねんせい の みなさん へ】 こうか を おぼえよう
1、まどべ に うたう ことりたち
あさ の あいさつ かわします
たのしい ともだち かた よせて
こころ ふれあう わたしたち
いつも なかよく て を とって
はげもう みんな の
ほくよう しょうがっこう
2、はな の わ ひろがる こうてい に
あかるい えがお こぼれます
すんだ ひとみ を かがやかせ
むね はずませる わたしたち
みらい を めざし すこやか に
のびよう みんな の
ほくよう しょうがっこう
3、みどり あふれる ふるさと の
おがわ の せせらぎ きこえます
ちいさな き の め ふくらんで
ゆたか に まなぶ わたしたち
はばたく ゆめ を おおぞら に
えがこう みんな の
ほくよう しょうがっこう
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学校沿革史の補足
信濃小学校から分離開校した北陽小学校
- 北陽小学校は、信濃小学校から分離し、1994(平成6)年4月に開校しました。開校した北陽小学校は、児童405名(13学級)でした。前年度の信濃小学校は児童数955名(26学級)でしたので、約4割の児童が新しい学校へ移ったことになります。当時の校区は、東3線から東9線、南27号からJR千歳線まで、住居表示では北光(1~7丁目)、北陽(1~4丁目)、長都駅前(1~4丁目)、上長都(今の長都駅前5丁目、みどり台地区)、北信濃(今の北陽5~8丁目、勇舞地区)、長都の一部、都の一部となります。
- ひまわり学級は開校と同時に開設されました。1986(昭和61)年、千歳小学校に肢体不自由児学級「あおば学級」が開設されましたが、北陽小学校開校に合わせて児童4名が転校してきました。ひまわりの名前は、北陽の名に合わせ、太陽に向かってすくすく伸びる色鮮やかなひまわりにあやかり、子ども達が明るく元気に成長することを願っています。
- 学校所在地の「北陽」の名称は、地区のランドマーク千歳北陽高校と明るい希望に満ちた町の未来に願いを込め命名されました。千歳北陽高校は、「千歳市の北に位置し、太陽のように力強く光り輝き、明るくたくましく永遠に伸びゆく学校」を目指し命名されました。
- その後、2005(平成17)年3月、長都小中学校が閉校し、南27線より東側の長都、釜加地区からも本校に通学することとなり、現在の校区となりました。
- 長都小学校は、1899(明治32)年、東5線南26号に私立教育所として発足しました。昭和7年には釜加特別教授所と統合され東5線南32号に移転。1966(昭和41)年に防音校舎が完成。1977(昭和52)年に小中併置校となりました。校舎は千歳市埋蔵文化財センターとして利用されています。
- 今の北陽小学校周辺の北信濃や上長都の子どもたちは、長都小学校ではなく、千歳第三小学校に通っていました。千歳第三小学校は、1948(昭和23)年、現在のキリンビール北海道千歳工場の位置(千歳市上長都949−1)に開校しました。校区は東9線(道道島松千歳線)から西側、南26号から南側です。北陽小、信濃小、桜木小の校区になります。今の様子からは考えにくいのですが、畑作や酪農中心に農業が行われておりまだ宅地化されておらず児童数が少なかったため、1968(昭和43)年に新設校の信濃小学校に統合されました。本校の母体校となった信濃小学校は、北栄小学校と千歳第三小学校の中間の位置にあたる信濃2丁目にできました。開校時は児童数593名(14学級)でした。その後、宅地化が進み、児童数が1200名を超え、1978(昭和53)年に桜木小学校が分離、1993(平成5)年、2月24日、千歳市教育委員会にて校名を決定、3月5日、市議会で北陽小学校の分離が決まりました。
- 開校記念日の7月1日は校舎建築開始の日です。
【年表】
1899(明治32)年 | 長都小学校の前身となる私立教育所が発足 |
1948(昭和23)年 | 千歳第三小学校 開校 |
1966(昭和41)年 | 長都小学校の防音校舎が完成 |
1968(昭和43)年 | 信濃小学校 開校(千歳第三小学校 閉校) |
1977(昭和52)年 | 長都小学校に中学校が併置され、長都小中学校となる |
1978(昭和53)年 | 桜木小学校 開校(信濃小学校から分離) |
1986(昭和61)年 | ひまわり学級の前身となる肢体不自由児学級 「あおば学級」が千歳小学校に開設 |
1993(平成5)年2月24日 | 千歳市教育委員会にて校名を決定 |
1993(平成5)年3月5日 | 市議会で北陽小学校の分離が決定 |
1993(平成5)年7月1日 |
校舎の建築が始まる ※資料によっては6月30日となっている |
1994(平成6)年4月 |
北陽小学校 開校、ひまわり学級 開設 |
2005(平成17)年3月 |
長都小中学校 閉校 |
2010(平成22)年 |
旧長都小中学校校舎に千歳市埋蔵文化財センターが オープン |
出典:北陽小学校 学校沿革史、『新千歳市史 通史編上巻・下巻』、千歳市立信濃小学校ホームページ、北海道千歳北陽高等学校ホームページ
児童の送迎のため、児童玄関付近に駐停車する場合には、校舎・グラウンドフェンス横(緑色の部分)にお願いします。児童の安全確保のため、児童が通行する30号中通交差点付近及び学童クラブへの経路となる道路付近(赤色の部分)は駐停車をしないようにお願いします。