生活の様子

1月31日(水)

1月最終日です。

本日発行の学校だより巻頭言です。

子どもが主語の学校に~令和6年のスタートに当たって~

 あけましておめでとうございます。

 2024年、令和6年は昭和99年にあたり、平成だと36年になります。戦後79年、そして近代の学校教育が日本に出現してから152年目。そんな年の初めを生きている私たち教職員は、これまでの教育を振り返り、これからの教育が、この国の未来がどうあったらよいか、行動しなくてはならないかをひとりひとりが真剣に考えなくてはならないと思っています。

予測不可能な時代

 人類が世の中に出現してからは、突然地震が起きたり(石川能登半島地震において被害に遭われた皆様に心からお見舞いを申し上げます)、洪水が起きたり、流行病のまん延、飢饉など、予測できなかったことの連続でした。同じように、今、まったく想像していないことが、今後起きるかもしれないし、今の子どもたちが大人になる頃はなおさらでしょう。「予測できない未来」に対処し、課題を解決し、生き抜く力を子どもたちにつけるのが私たち大人の責務です。

 昭和99年の学校教育でいいのか

 当時、よかれと思って決めた教育方針、指導方法も時代に合わなくなってきています。教育は社会のあり方と密接にかかわっているからです。たとえば、高度経済成長期、工場で働く労働力が必要だった時代、全国各地から中学高校を卒業した若い人たちが集団就職で大都市圏に送り込まれました。皆と同じことを同じ正確さ同じスピードでできること、たくさんの人が職場で働き、寮で生活するために求められる協調性、規律や指示命令に対する従順さが求められたため、教育もそれに適合する労働者を育成しました。

 今が、そんな時代じゃないのは、誰もが実感し理解しています。昭和の時代には存在しなかったものや仕事であふれている令和6年の学校。だけど、学校教育の中にはいまだに「高度経済成長期の昭和」が残っているところがないでしょうか。

子どもが主語の学校に

 教育に関係する人はほぼ善意の人、よかれと思ってやってきました。自分自身を振り返っても、親として、教員として、教頭・校長として、よかれと思ってやってきたことが、必ずしもそうではなかったことがたくさんあることに気づきます。だけど時計を巻き戻してもう一度やり直すことはできない。そこが教育のジレンマです。

 私は、変わらないものがあるとすれば、それは、子どもたちを大事に、リスペクトして向き合うことだと思います。つまり、子どもたちを幸せに、安心して学び生活して、大人になっても、学ぶって楽しいという体験の種をもって、自分の人生を選び、幸せになることなのです。残念ながら、近代の学校制度ができてから150年間、教育がこの国のすべての子どもたち、若い人たちのすべてを幸せにできたことはありません。

 学校の中でも、必要なのは教室の前に立って指示命令をする人ではなくなりました。「子どもが主語になる学校」とは、子どもが学び、学び合う学校をさします。子どもが学び、学び合う場を、教職員が学び、学び合ってつくっていきます。ひとりひとりの子どもを「自立した学習者」に育てるためには、教職員それぞれが「自立した学習者」でなければならないですし、学習指導に力を注ぎこめる「時間」と「環境」が必要です。改めまして、教職員の働き方について、ご理解とご支援をお願い申し上げます。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

【お願い】

 登校時にお子さまを送迎する車が校門前に停車し、後続の車が渋滞している様子を、この冬、よく見かけます。

他車の通行の妨げにならないよう、交通マナーを守っての運転をお願いいたします。

【補足】

 校地内に入っての送迎は、以前に事故が発生したことがあるため、緊急・特別な場合以外は、お断りしております。